「賄賂」とか言われてますが、それは微妙に意味が違いますし「悪」でも「強欲」でもありません。
賄賂というか「付け届け」ですね。
饗応指南役の吉良に対して当然払うのが当時としては常識的なものです。
饗応指南役はいろんな手続きをしてくれたり、何かトラブルがあった時に面倒を見てくれる責任者なわけです。

むしろ「饗応役指南料」「饗応世話役料」とでも言った方がニュアンスとしては正しいです。

勿論、赤穂藩は饗応は二度目だったとか言う話しも饗応指南料をケチる理由にはなりません。

一応、参考質問書いておきます。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1189447716


ちなみに当時は現代でいう塾(寺小屋)とか習い事は具体的な料金が決まっていず、「相場」に沿って適度な額を個々が払うシステムです。
現代で言えば葬式でお坊さんに払う戒名料のようなものです。
饗応指南役に金を払わないってのは「葬式に呼んだお坊さんに戒名料を払わない」くらい非常識な行為です。

そんな非常識な態度をもしも赤穂藩が取ったのなら嫌味な態度の一つも取られてもやむおえないと思います。

まあ、正確には赤穂藩も付け届けを全く払わなかったのではなく「相場より随分少ない額だった」のではないかと推測されますが。


それと日本では古くから具体的に「○○代金」みたいなダイレクトな言い方はせず、

「戒名料」「花代」「化粧料」「御馬代」といった抽象的な言い方をする習慣がありました。

現代の「戒名料」にしろ「私は仏教など信じてないし戒名なんて不要なので戒名料は払いません」なんて理屈は通じないのと同じです。

「戒名料」とは要するに葬式で呼んだ坊さんの読経代金、出張代金、その他経費もろもろなどがすべて含まれています。


追加①

「吉良の強欲」とかについてもちょっとニュアンスの違う話で誤解されてます。

高家筆頭という地位でありながら、たった四千二百石の所領しかなかった、吉良家にとって、「儀式や作法の指南役としての収入」はまさに死活問題でした。

事実上、それで吉良家の経済は成り立っていたといっても良いくらいです。

他に庇蔭料千俵を受けていたとはいえ、それくらいで出費をまかなえる筈はありませんかでした。


wikiからの引用ですが

>寛文2年(1662年)8月には、大内仙洞御所造営の御存問の使として初めて京都へ赴き、後西天皇の謁見を賜る。以降、生涯を通じて年賀使15回、幕府の使者9回の計24回上洛した。


24回もの上洛をしていたような人物がたった数千石程度の収入でやっていけるわけがありません。


また当時は武家同士の祝宴や儀礼などの付き合いは必須であり、現代では断れるようなことも当時は断れないものでした。

現代では「あいつ、付き合いの悪い奴だな」程度の出来事でも、当時は現代の冠婚葬祭と同じようなもので基本的に絶対に出席しなくてはならないものでした。

そして高家筆頭であり、しかも室町時代に「足利将軍家の血脈が絶えたら吉良家から世継ぎを出す」とまで言われた(ただこの話しは事実ではないらしいが吉良家の名家ぶりが分かる話)名家の吉良家は非常に武家同士の付き合いが広くあちこちの祝宴に出なくてはいけなかったわけです。

そういう付き合いの経費は大藩なみに膨大なものだったと推測されます。

ちなみに百万石の前田家(加賀藩)や伊達家(仙台藩)ですら祝宴や儀礼の費用に困った逸話があるくらいなのにわずか数千石の吉良家はほんとにやりくりは大変だったと考えられます。

吉良が付け届けにうるさかったという話しや息子で米沢藩上杉家の上杉綱憲に「たかった」逸話もある程度はやむおえなかったと考えられます。

吉良上野介は強欲とか奢侈(吉良家の立場上、貧乏ったらしい態度は取れなかったというのもある)が過ぎたとかではなく、そうせざるおえなかったわけです。

まあ、あえて言えば、高家筆頭という要職にあった吉良の石高プラス庇護料をそんなに低くした幕府の落ち度でしょうね。


追加②

よく上杉鷹山や米沢上杉家を賞賛する関係のサイトで

「上杉家が吉良上野介が乗っ取った」

「上杉家の財政が傾いたのは吉良のせい」

とか恩知らずなことを言ってる連中がいますが

吉良上野介が自分にとっても貴重な嫡子を養子に出したからこそ、
嫡流の絶えた上杉家は所領半減とはいえ存続を許されたのです。
吉良も本当は嫡子を養子に出すのを嫌がったのですが、説得されてやむおえず出したそうです。

また吉良は上杉家存続のために口添えもしてやったそうです。
それなのに吉良に感謝するどころか悪く言うとは上杉厨ってなんて恩知らずなんだろうと思います。
大体、吉良がもしも養子を出してやらなければ米沢藩は取り潰しの運命だったのですが・・・

そもそも上杉の財政破綻が起きたのは
必ずしも吉良がたかったからだけではなく、所領を半減させられたのが大きかったんですけどね。
あと、それ以降の上杉家は吉良上野介の系譜ですし、

上杉鷹山も女系とはいえ吉良家の血が混じっています。


追加③

浅野と吉良の悶着の原因に吉良の塩田技術提供要請を浅野が断ったことによるによるいざこざがあったという説がありますが、確認されていない俗説の一つに過ぎません。


追加④

私の山形県出身の知人から聞いた話ですが、

その知人は中学と大学の時の恩師が「上杉家の末裔」だったそうですが、

赤穂浪士について「不遜な浪人ども」と語っていたそうです。


追加⑤

なお「忠臣蔵」で描写されている「吉良がイジワルをして浅野に作法を教えなかった」は絶対にありえません。

もし、そんな事をしたら作法指南役の吉良が罰されてしまうからです。